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◆インドベンガル洲カリンポンで  宮崎支部 杉本サクヨ


ドクターグラハムホームズの子供たち
ドクターグラハムホームズの子供たち

この数年、私は一年の半分をインドのカリンポンで暮らしています。

 カリンポンは紅茶で有名なダージリンの隣、シッキム・ネパールブータンの国々に囲まれた山の町です。人口28万人の八割は農業を営んでいます。二千メートルを越える山々の天辺まで耕し、急傾斜の狭い土地空間で暮らしています。ネパール系の他、シッキム、ブータン、インド人と多くの人種が交じり合った珍しい地域です。

現地では別名「ヒマラヤンカクテル」という素敵な呼び方をしています。

 千五百人の子供たちが学ぶ、ドクターグラハムズホームズがカリンポンに施設を設けてから112年になります。当時、ダージリンで働くイギリス人と、インドの女性労働者の間に生まれた子供の救済から始まりました。長い年月、試行と経験を積み重ねながら、現在では都市のスラム生活者、山岳地の教育の教育に恵まれない子供たちの養育と教育を提供する福祉法人の学校となっています。人間や宗教の差別なく高校を卒業するまで勉強の機会を保障しています。

 私どもの団体は21年前から日本委員会として、他の国の委員会とともに子供たちの教育支援を続けています。

 学校は、とてもユニークです。今、生徒の半数は普通の家庭の子供たちです。彼らは、月謝を払って学んでいます。カースト制度を知る人たちは不思議に思えるでしょう。両者をミックスさせた教育環境そのものが人間の平等や人間関係、社会を知る知恵、を学ぶ場になっています。貧困や無知は貧しい人たちを犠牲にするだけでなく、悪循環の加害者になっている場合が多いように思えます。世界には置き去られた人々と、その一方に富裕層がいます。この不公正を是正していくには、貧困に生きる人々が変わっていくしかありません。私たちにできること、それは彼らに教育の機会を根気強く提供していくことに尽きると思います。

NPO法人宮崎国際ボランティアセンター

 http://www4.ocn.ne.jp/~dgh-miya/

◆原発被災地の今 福島支部 野口時彦

今日で14カ月です。
あの忌まわしい災害から今日で14か月です。
この14カ月で原発事故被災地はどのように変わってきたか。残念ながら、復旧から復興への歩みは遅々として前進せずというのが、正直な感想ですね。環境放射能の線量は昨年の今頃との比較では半分以下ぐらいになっていますが、これも政府の除染作業の進捗というよりは、放射性物質の性質や雨、風などによる流出的なものでしょうか。理由はよくわかりませんが減少的傾向にあります。このことは、被災者にとってはうれしいことではありますが、ひょっとして薄く拡散しているにすぎないのか。国も自然災害への備えで、東海、東南海、南海地震の予測では、想定外を想定した被害メッシュを発表し、災害への備えを訴えました。そのせいではないと思いますが、1万9人にも及ぶ死者・行方不明者を出した未曾有の災害も1年が過ぎると、と災害当時の人々の心は被災者も、多くの支援者、国民の心もずいぶんと変わってきたものと思います。逆に、がれき処理や放射能という難題による新たな問題で「絆」と「偏見、分断」が生じてきたようにも思えます。
人間、困難に直面した時に、努力や汗を流した量の多さにによって将来が展望できるもの。未来の希望に向かって一生懸命に努力し、求心力が働いて助け合いあいますが、逆に、先の見通しができない、努力しても先が見通せない、どれだけ汗を流せば成果や果実をもたらせることができるかということが混沌としている世界や、そこが危険な場所、未知の領域に踏み込むというような課題には、人間どうも避けて通りたいという、当たり前、ごく自然な行動、遠心力的な作用もあるようで、そのようなことが混ざりあって、事故被災地の人々も精神的につらい毎日だと思います。
それでも、被災者の人達は明日の希望に向かって生きています。
向暑の砌、皆様のご健勝を祈念申し上げます。

◆鈴木大拙先生ゆかりの地金沢で 本部事務局長 石清水由紀子

 石川支部フォーラムの翌11日は昨年1018日に開館されたばかりの鈴木大拙館を訪問、続いて隣接する中村美術館の茶室でお点前を頂戴しました。

日野原先生は晩年の大拙先生の主治医を5年間つとめ、その間のことを「死をどう生きたか」中公新書に詳しく書いておられます。当時、大拙先生の秘書であった岡村美穂子さんが鈴木大拙館名誉館長として京都から、そしてこの館の建設にご尽力された前金沢市長の山出保さんが日野原先生を案内するため待っていてくださいました。

大拙先生はここ金沢市本多町の生まれです。金沢ゆかりの建築家・谷口吉生氏の設計で、隣接する本多の森を借景に、鉄筋コンクリート造りのシンプルな三つの棟を回廊で繋ぎ、鏡のような池(水鏡の庭)が印象に残る建築です。「知る」「学ぶ」「考える」三つの空間を一緒に巡り、展示を見ながら日野原先生も50年前の記憶が蘇っておられるようで、思い出話しが弾みほんとうに楽しそうでした。

岡村さんは、1935年米国ロスアンゼルス生まれ。15歳で大拙先生に師事し、大拙先生が帰国される時に一緒に来日され、1966年に先生が亡くなられるまで秘書としてつとめられました。

日野原先生が「新老人の会」を発足されたことは本当によかった。高齢になっても社会に貢献できることは素晴らしいことですとおっしゃって、この度、入会してくださいました。言葉が明瞭で魅力的な方、もっとお話をお伺いしたいと思いながらお別れしました。

後日、三重支部から528日の総会でお話をしていただける女性の方をご紹介いただけないかとのお電話をいただき、岡村さんのことがひらめきました。早速お願いしてご承諾いただき『大拙先生の思い出と日野原先生』をテーマにお話いただくことになりました。

◆私たちにいちばん大切なもの 川島敏邦

 

 

私たちの住むこの宇宙がビッグバンで生まれてから138億年、その宇宙のチリから銀河系星雲が生まれ太陽系が生まれ、そして地球が生まれてから45億年、灼熱のマントルが冷えて地殻となり、水と空気が海となり大気となり、生物が生まれ植物と動物が分化し多様化し陸にも上がり様々に進化したそうです。その間にも地殻の変動があり、何度かの氷河時代などの気候変動もあり、生物には自然淘汰や突然変異により多くの種が出てきたり消えたりしたそうです。この地球上では、つい最近までは、全てのものが地球環境に寄り添うようにして「自然の法則」に逆らうことなく従ってきたのです。例えば、すべての生物—動物と植物—は水と大気(空気)によってその生命を維持してきました。水は双方に不可欠なもの、それに加えて動物と植物が酸素と二酸化炭素を交換し合ってお互いに生命を保ち合う、なんと素晴らしい「生命のバランス」ではありませんか。

ところが、およそ4万年前に誕生しずっとおとなしくしていた現生人類ホモ・サピエンスが、つい最近この100年ほどの間に、この貴重な生命のバランスを崩してしまうように、大気と水資源を汚染し地球環境を破壊し始めています。

その典型的な例は、二度も原爆を被爆しその被害に未だに苦しむ人々がいる現実と昨年の福島第一原発メルトダウンにもかかわらず、今後何世代にもわたって影響をしつづける放射能拡散の危険性(生命と大気・海洋汚染)をかえりみずに「原発再稼働」、そして残る50基全ての再稼働をも「想定内」に入れているのではないかと懸念される政策をとるホモ・サピエンスたちです。

私たちに一番大切なもの、それは「生命—いのち−」です。この地球上に生きとし生けるもの全ての「生命のバランス」を守らなければ、地球はそのバランス保持力(自然淘汰)を発揮して私たちホモ・サピエンスを滅亡させてしまうでしょう。

無限の広がりをもつ宇宙に数知れなく存在する天体の中で、おそらくたった一つの小さいけれど美しい惑星、この美しい地球、そこに生を受けた喜びを何代もの子孫に受け継いで欲しいという切なる願い、それを叶えられるのは私たちなのです、私たちしかいません。

私たちの基本的信条は「全ての生命を守る」ことです。自分の生命も、あなたの生命も、あの人の生命も、だれの生命も大切にして、それを脅かすことに対してはみんなで抗議し、そして「私たちの地球を守る」ために、日々の生活の中で自然の法則に沿う環境保全を心がけることではないでしょうか。

(アメリカ・マサチューセッツ州ケンブリッジにて)